メリークリスマス!今年のクリスマス、皆さんはどうやって過ごしたかな?
写真はShinon、6歳のクリスマス。
ピアノのレッスンの時に、先生が撮ってくれたものです。
にっこり微笑んで、まるでピアノ大好き!に見えますが、実は子供の頃はそうでもなかったのです。
「しのんちゃん、ピアノ習わない?」「いやっ、習いたくない。」
私は母の言葉をかたくなに拒みつづけていました。それが5歳になったある日、「うん、習う」と突然うなずいたのだから、すわ、一大事!と。それ、娘の気が変らないうちに、と夜7時を過ぎていたのに、母は幼い私を連れて、兄が習っていたピアノの先生のところへ行ったそう。
それが、私が音楽を始めたきっかけでした。
音楽好きの両親のもとに生まれた私のまわりには、いつも音楽があふれていました。部屋には母が弾いていたピアノがあって、おもちゃがわりにいたずらしたものです。
ところが母の言葉に何気なくうなずいて始めたものの、遊びたい盛りの私はピアノの練習が嫌いで、良く練習を怠ったのです。レッスンの直前まで宿題が弾けなくて、母にしかられて、泣きながら教わっていたのを今でも覚えています。
小さい頃は引越しを繰り返していたのですが、私を音大に入れたかった母は、引っ越す度に良い先生を探してくれて、ソルフェージュ(楽譜を読んで歌う声楽の基礎)や聴音(音を聞いて楽譜に書き取る)も一緒に習わせてくれていました。
中学生になり、バッハを弾き始めると、「音大に受かったら、白いグランドピアノを買ってね」と両親と約束していたくらい、将来、音大に行くものだ、と自分も周りも当然のように思っていました。
ところが、中学で始めたテニスが面白くなり、ある日、学校でテニスをしていたら、急にピアノのレッスンを負担に感じ、先生のところに行って、勝手にやめて来てしまいました。
もちろん、母は私を説得しようとし、先生も「やめちゃうなんてもったいない」と焦って母に電話をして来たのですが、テニスに夢中の私は聞く耳を持たず、頑として考えを曲げなかったのです。
ただ、お稽古をやめた後もピアノ自体は好きで、ポピュラーの楽譜を買って来ては、マイペースで良く弾いていました。
そして、高校入学。兄がバンドをやっていた影響もあり、軽音楽部へ。ハードロックのコピーバンドのキーボードを担当しました。それがバンドとの出会い。
大学でも軽音楽サークルに入り、ドラムとキーボードを担当、色々なバンドに参加しました。学園祭で10個のバンドを掛け持ちしたことも。
そして社会人になったある日。パーティでカラオケを歌ったところ、GYPSY QUEENのリーダーであるAkiに「うちのバンドで歌ってみない?」と声をかけられ、それがボーカルをやるきっかけとなりました。
GYPSY QUEENのコーラス、そして三代目のボーカルへ。カラオケがちょっとうまいだけの人間が、バンドでちゃんと歌えるはずもなく、うまく歌えなくて何度も悔しい思いをしました。今もボイス・トレーニングを継続しているまだまだ修行中の身。
今考えると、母には申し訳ないなぁ~と思うのですが、もしクラシックピアノを続けていたら、今のアジアで歌う私はいないかも、とも思います。
6歳の私は、クリスマス・プレゼントがもらえるからかな?将来こんなロックねーちゃんに育ってしまうとは露知らず、ピアノの前で微笑んでいます・・・。
この写真を見る度に、母への申し訳ない気持ちと、私に音楽を授けてくれた母への感謝の気持ちが押し寄せるのです。
縁は異なもの味なもの。
音楽との出会いもそうですが、人同士の出会い、それ以外にも興味や趣味との出会い、すべてが偶然であり、今となっては必然だったのかもしれないな、と感じます。
それを成長と言うのなら、これからもしのんさんに沢山の出会いがあることを期待して、是非、お母様に恩返しをなさってください。
きぃさん
さすが、子を持つ親のご意見ですね!
きっと、きぃさんも子供に色んな可能性を与えてあげたいと思うのではないでしょうか?
そう、世の中には偶然ということはなく、すべてが必然なんだなぁ、と思います
きっと、今私がアジアへ足繁く通っていることも、将来振り返れば、何か大きな理由があるのかも、と思っています
写真のしのんさん、めっちゃかわいい!!
ひぃさん。
ありがとう~。そんな時期もありました。。。
ずっと風邪で倒れていたので(↑上の記事参照)お返事遅くなりました!