上海で久々に再会したWing(葉世榮。広東語読みでイップ・サイ・ウィン Yip Sai Wing)さん。
彼は中華圏の人間なら誰でも知っている香港のスーパースターバンド・BEYONDのドラマー。’92年に日本でもデビューして、彼らの「長城」という曲は、「進め!電波少年」のオープニングの曲にもなっていました。
ところが’93年、リーダーでボーカリストの黄家駒さんがテレビ番組の撮影中に不運にも転落死をしてしまいました。。。その事を何となく記憶している人もいるでしょう。
その後、残されたメンバーは香港へ帰り、しばらく活動したのですが、’99年に活動休止して、それぞれソロ活動に。
ドラマーだった彼は、今やドラマーとしてはもちろん、当時は全然弾けなかったというギターを弾きながら歌うシンガーソングライターとして活躍しています。
その転身には、どれほどの努力が必要だったことでしょう?
Wingの「一鼓作気(張り切って一気に物事をやり遂げるという意味)」という曲のPVには私達もちょこっと出ているのですが、ここのYoutubeのコメントにね、中国人のファンが「世榮是Beyond單飛後最進步的一個(サイ・ウィンはBEYONDがソロ活動後、一番進歩した人だ)。」って書いてあるんです。
そうやって評価される努力は本当に素晴らしいと思います。
Wingさんとの出会い
Wingさんに最初に会ったのは、2002年の上海。アジアのドラム王、爆風スランプのファンキー末吉さんの紹介でした。
「Wingを日本に呼びたいんやけど、誰かバックをやってくれないかなぁ?」とメルマガに書いてたのを、バンドリーダーのAkiが「ファンキーさん、僕らで良ければやりますよ!」と手を挙げたのがご縁の始まり。
じゃぁ、日本に呼ぶ前にちょうどうちらの中国ツアーがあるので、上海辺りでジョイントしようか、という事になり、それが初対面でした。私達にとって、アジアのアーティストとのジョイントもこれが初めての経験でした。
2002年10月、翌月のWing来日コンサートに向け準備をしていた私達に、訃報が飛び込んで来ました。Wingさんが一緒に住んでいた彼女が事故で亡くなってしまったのです。。。彼女のお葬式の時、彼は彼女にウェディングドレスを着せて、冥婚式を挙げたそうです。(今でもその時の指輪はWingさんの左手の薬指に光っています。)
そんな大変な事があったから、Wingさんの来日は無理かも知れない、なんていう話をしていたのですが、彼は11月に元気に来日してくれて、東京で一緒にコンサートをしました。
そしてその年の暮れ、WingさんのスタッフだったMartinさんの事務所から香港でのカウントダウンコンサートのオファーをもらい、その時にまた香港でWingさんと再会し、翌2003年2月には広州の彼のコンサートに呼んでくれて、2004年4月にはまた再び彼を日本に呼んで東京でコンサート。。。
GYPSY QUEENのアルバムにゲストとして
2004年8月には、私達のアルバム「SILK」にゲストボーカルとして参加するため来日。東京でレコーディングをしました。
その直後、Shinonの北京語のパートをもっと良くしたいから、とわざわざ北京でのレコーディングを急遽セッティングしてくれて、私は単身北京へ。
その時、Wingさんはスタジオからエンジニアさんからネイティブの発音指導をしてくれるディレクターまで全部用意してくれて。。。私のつたない北京語の歌をディレクションしてくれました。
そんな感じで、出会ってから2004年まで、毎年のように会い、親交を温めていました。
香港の新聞「東方日報」
(日本でのレコーディングの事が書かれた香港の新聞。日本滞在中に地震があったので、「葉世榮食べ物を持ってトイレに避難する」という見出しになっています。そんな事が記事になっちゃうんだから、大スターですよね、うん。でもさ、私の顔の真横に「厠所(トイレ)」の文字が・・・あまり嬉しくない・・・(笑))
上海での再会
ここ最近は私達も東南アジアでのコンサートが多かったので、メールや電話をたまにするくらいで、ずっと会えていなかったのですが、今回、私達が上海に行くと言ったら、わざわざ香港から上海まで来てくれました。
私は、何か仕事のついでがあったのかなぁ~と思っていたのですが、良く良く話したら、特に仕事はなく、「長い間会ってなかったし、君達と初めて会ったのが上海だから、また上海で会いたかった」
と言われて、感激のあまり泣いてしまいました。
日本でデビュー当時はアミューズに所属していたので、爆風スランプの方々とも厚い親交があり、今回、上海にサンプラザ中野くんさんも来るということで、とても喜んでいました。
そして、先日書いたように、ステージにも上がってくれてチャリティにも快く協力してくれたのです。
楽屋でも、打上げでも、移動中のタクシーでも、彼とず~~~っと話をしていました。今回のライブの事はもちろん、最近のお互いの近況から、彼の人生観まで色々。。。
いつも書いているように、私にとって音楽は「手段」なんだけど、彼は「Tool(ツール)」という表現をしていました。その音楽を通して何をするかが重要だよね、っていう話ですごい盛り上がりました。
人生の大事な時期に、大事な人を二人も亡くした彼の口癖は
“Life is very short. Doing our best is OK.”
彼が言うと重みが違います。
今の人生を、どれだけ良く生きるか、そんな話もたくさんしてくれました。彼はファンキー末吉さんが大好きで、「ファンキーさんはとっても良い人だから、死んだら天国に行くよ」って。(^。^)
また、彼は出会った頃の7年前とちっとも変ってなくて「どうしてそんなに変わらないの?」と聞いたら、「毎日Peacefulに生きてるからだよ」って。いらいら怒ってばかりいると、細胞がねじ曲がって、元に戻るのに三日かかる。毎日怒ってたら、細胞はねじれっぱなし。それが色々な病気や老いを誘発するんだそうです。だから怒らない。
そして、私が風邪でノドがちょっと腫れているのを気にしてくれてて、終わった後、
「無事歌えたんだから、今日寝る時に、自分ののどと体に感謝しなさい」って。周りの人や物だけでなく、自分自身への感謝の大切さも教えてくれました。
実は、私がWFPへの募金を始めたのも、以前、Wingが中国大陸の貧しい子供達の里親になっているという話を聞いて、私もWingさんみたいに困っている人のためにささやかでも何かしたいなぁ、と思ったのがきっかけでした。
Wingさんと話していると、仏様と話しているみたいで、心が癒されて自然と涙が出てきちゃいました。その度に、慌ててティッシュを探してくれる優しいWing。
今回彼と再会した事で、また自分の音楽、家族、友達、などすべての環境に改めて感謝する事が出来ました。
Wingのおかげで前より確実に楽に、Peacefulに生きてるよ、私。ありがとう。
Wingさんは出会って以来、ずっと私に大きな影響をもたらしてくれている大事な、尊敬する香港のお兄ちゃんです。また日本に来て欲しいなぁ。。。
(先日の上海ツアーで。上海MAOにてWingさんと。 photo by mido)
いい話ですね~
Gucchiさん♪
長文読んでいただきありがとうございました!
Wingはこうも言いました。
「誰かが訳もなく自分の事を殴ったら(物理的な暴力だけじゃなく、言葉の暴力も含みます)、殴り返さないで、『あぁ、僕は前世、この人に悪い事をしてしまったんだ。だから、この世で貸し借り無しだ。良かった』と思いなさい。そこで殴り返すと、この因縁は来世も、そのまた先もずっと、繰り返すことになるんだよ。」
って。ホントに仏様みたいですね。
ご無沙汰です。
だから、世榮好きなんですよね。
世の中悟ってるっていうか…。
ま、そうせざるを得ない状態が今の彼を作っているんだろうけども…。
とにかく、彼にはがんばってほしいな♪
いやぁ~、懐かしい話がいっぱいで、ついつい足跡つけちゃいました。
HIROさん♪
ご無沙汰してます~♪
そう、懐かしいですよね~来日コンサート。
Wingは人間的にもとっても魅力的ですよね~
たまに言うカタコトの日本語も相変わらず可愛かったです。
移動中のバスの中で、フードをスッポリ被ってるので、「冷不冷?」って聞いたら、日本語で「ミミガ、サムイ。」って。可愛い~