最近、朝青龍関の件で、モンゴルでも日本に対して否定的な報道が流れたりして、それは個人的にはちょっと悲しい出来ごとでした。
朝青龍関がした事は、確かにほめられた事ではないけれど、日本の相撲界に貢献してくれた人物でもあるし、やんちゃだけど、憎めない可愛いところがある人という印象で、海外から来て日本で頑張っている横綱を応援したい気持ちでいっぱいでした。
相撲が文化と伝統を重んじる、独特なスポーツの世界だったので、周りの日本人の教え方にも問題があったかも知れないですし、一概に朝青龍関を責める事は出来ないと思います。
私達は一度だけ、モンゴルでコンサートをした事があります。2002年の秋の事でした。
それまで、海外公演は中国しか経験がなかったので、中国人の友達にモンゴル人の友達はいない?って聞いて、ある外資系の銀行に勤めるボローという女性を紹介してもらって、モンゴル語の歌を教えてもらいました。彼女は日本語がまったく出来なかったのですが、英語がペラペラの才女。しばらくしたら、アメリカに転勤してしまいました。今はどこの国にいるのかなぁ。。
モンゴルにはモンゴル人なら誰でも知っている「広島の少女の折鶴」という曲があります。これは、広島の原爆で被爆した少女、佐々木貞子さん(原爆の子の像のモデル)が、千羽鶴を折れば病気は治ると信じて鶴を折り続けたけれど、願いが叶わず亡くなってしまった、そのことを可愛そうに思ったあるモンゴル人が作った歌なのです。
遠く離れたモンゴルの地で、日本の悲惨な原爆の歌が歌い継がれていること事に感動した私は、モンゴルの人達に感謝の意を込めてその曲を歌いました。
そうしたらアンコールがかかって何と二回も演奏しました。会場はウェーブで大合唱!その時の感動は、今思い出しても涙が出るほどです。
その時の映像はこちら。必死で泣くのを我慢しています。
2002年当時はちょうど、今は政治家になっている旭鷲山関が活躍している頃で、モンゴルにも彼の大きな写真入りの看板があったりして、まさに国を代表するヒーローという感じでした。モンゴルの人達もNHKの相撲放送を楽しみにしていました。
翌日、市場で買い物をしていると「あら、昨日出演してたバンドね!」と話しかけられたり、ウランバートルの空港でお手洗いに入って手を洗っていると、「昨日見たよ!良かったよ!」と声をかけてくれて、またうれし泣きしたり、本当に人懐っこく、親日の国だ、という印象でした。
日モンゴル関係が、悪化しないといいなぁ~と思っています。
(2002年9月。コンサート会場の相撲宮殿前で。メンバー+サポートメンバーのまみぞう、トマと。)