アジア

再び思い出深い重慶へ。

今月19~23日まで、中国ツアーに行って来ます!
初日・20日に行われるコンサートは、四川省の重慶というところで、私達にとってとても思い出深い場所です。

初めて訪れたのは、2002年のツアーでした。
そのツアーは、中国との国交回復30周年記念であり、モンゴルとの外交樹立30周年記念でもあり、大連~ウランバートル~北京~長春~上海~重慶、と中国、モンゴルの6都市を旅しました。
その12日間で10回のコンサートをやったハードなツアーの最終地が重慶でした。

重慶に着いた瞬間、お迎えに来て下さった領事館の方に「重慶は日本軍が大爆撃をしたので、日本鬼子(リーベングイズ・日本の鬼っ子)、なんて厳しい言葉をかけられるかも知れませんよ」といきなり言われ、不安が募ったのを今でも覚えています。

会場となった西南政法大学の体育館は、四方に高い観覧席があり、3000人以上入る大きな体育館。
セッティングを終えると、大学の方々が昼食を用意して下さったので、と領事館の方々に連れられて食堂に行きました。そこで出迎えて下さった副書記や学長、職員など大学の方々は日本から来た得体の知らないロックバンドに、皆一様に堅い顔をしていました。
ところが食事の合間を縫って、御礼に、とギターのまちゃのアコギで四川省の民謡「康定情歌」を歌うと、みんなの顔がぱーっとにこやかになり、手拍子で聴いてくれて、最後には拍手喝采。音楽の力で心が通じた一瞬でした。

そして、迎えた本番。
大きな体育館は観客席どころか、ステージ下までいっぱいで、一時間の公演は大いに盛り上がりました。その熱さには本当にびっくり。楽屋にはけると、楽屋まで学生達が押し掛け、昼間堅い顔をしていた大学の方々がにこにこと握手をして喜んでくれました。そして、予定外にも打上げまで催してくれて、「五料液」という高級な白酒をふるまってくれたのでした。

この時いらした卓学長とはチャット友達になって、北京の大学で教鞭をとることになった彼と北京で再会したり、その後も親交を温めていました。

その後、2003年には重慶大礼堂、2004年には珊瑚公園露天劇場、2005年には四川外語学院、と毎年のようにコンサートに呼んでもらい、中国の中でも重慶がホームタウンのようになりました。

重慶のお隣の成都にも足を伸ばしてコンサートをしたり、と当然のように四川省に友達が増え、そしてしばらくASEAN圏のコンサートが続き、中国に足が遠のいていた2008年5月。四川省に大地震が起きました・・・。
その時頭に浮かんだのは、四川省の朋友達。震源に近かった成都の友達に電話すると、「とっても怖かった・・・」とおびえた声。

そして、その2008年の秋から私達は四川大地震チャリティーコンサートを始めました。
GYPSY QUEENを可愛がってくれた重慶、私を歌い手として育ててくれた中国に何か恩返しをしたい。
大した力にはなれないけれど、音楽を通して誰かの力になれたら、こんなに嬉しい事はありません。

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(上:2002年西南政法大学の体育館、客席。下:2003年重慶大礼堂にて。)

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