アジア

相約北京④ ~2005年、反日の中で 後編~

当てもなく北京へたどり着いた私達は、ともかく、北京での知り合いにはみんな会おう!と連絡をとりまくりました。
そしてアジアのドラム王ファンキー末吉さんや演出公司のワンシンなど、現地の人たちの紹介で北京のライブハウスをブッキングし、何とか3本、ライブをする事が出来ました。

私達を出してくれた豪運(ハオユン)というバーのオーナーに
「こんな時期に、日本人を出して、お店に迷惑ではないんですか?」
と聞くと、
「政治と音楽は違うよ。音楽には国境がないから、大丈夫。」
と、笑顔で言ってくれました。

(優しい豪運のオーナーと。)

タクシーに乗ると、運転手のおじさんが
「日本から来たの?」
と優しく話しかけてくれて、
「今回反日の影響でコンサートに出れなくなっちゃったんだ」
と話したら、
「反日運動なんて怖くないよ!もし誰かが、君をいじめたら、ボクが守ってあげるから!
と言ってくれたり。

加熱していた反日運動の報道に、ちょっとおびえながら訪れた北京では、中国の朋友達や、一般の中国の人達の温かさに触れ、そして自由楽隊のような新しい友人も作って帰って来ました。

「反日やってるのは、一部の人達じゃん。」

そうほっとしたと同時に、中国での活動に対して、正直ちょっと疲れを感じてしまった瞬間でもありました。
その年の12月に重慶に行ってコンサートをし、その後、2008年に四川大地震が起こるまで、あえて自分達から中国に対してアクションを起こさなくなっていました。

「好きって言ってくれる人のところに行こう」

なんて、まるで失恋した女の子のような気分。
歓迎してくれる東南アジアの国々からのオファーを次々と受け、2年半ほど中国から遠ざかってしまった原因の一つは、皮肉な事に、私達が中国で活動するきっかけとなった「相約北京」だったのでした。

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