日本

被災地へ炊き出しのお手伝いに行って来ます。

今日から短い時間でお役に立てるか分からないけど、大船渡大阪王将さんの餃子カーの炊き出しのお手伝いに行って来ます。

今朝、福島の浪江の叔母と電話で話したのですが、原発の退避地域に入っている浪江には戻れず、親戚の家を転々とした後、今は相馬の実家に戻っています。
そのお家は、おじいちゃん、おばあちゃんが住んでいたお家
今はもう祖父祖母ともに亡くなったけど、父が東京の人なので、私が小さい頃夏休みに帰る「田舎」と言えば、その相馬の母の実家の事でした。

うちの両親が先週末、叔母を相馬まで送って行って家もお掃除してくれたのですが、土壁や瓦が一部落ち、ガラスも割れ、障子もビリビリ
瓦屋さんもガラス屋さんは、供給も作業も間に合ってないようで、今は応急処置して住んでいるのだとか。
でも相馬に家が残っていて、本当に良かったと言ってました。

そして相馬市の松川浦という私が小さい頃良く遊んだ海のそばでは、親戚が旅館を経営していたのですが、見に行ったらその旅館は大広間とその上の数部屋以外は津波に流され、立派だった和風庭園は跡形もなく、ただ大きな庭石だけがそこに踏ん張って残っていたそうです。
毎年親戚で集まって、今年も集まる予定だったのに。

小さい頃、おじいちゃん家によく魚を売りに来ていたエイコちゃんと呼ばれているおばちゃんがいました。エイコちゃんはなまりが強くて、子供の私には何を言っているか半分くらいしか分からなかったけど、エイコちゃんが来た日は、新鮮なお魚が手に入って、すずきやタイのお刺身や、お刺身の残りで作ったあら汁がとっても美味しかった。
でも、そのエイコちゃんの家も跡形もないそうです。。。

あと、小さい頃から相馬の美味しい海苔を食べていたので、「他で海苔を買うと高くて、その割には美味しくなくてびっくりしたよ」と言ったら、浪江の叔母はいつも相馬の美味しい海苔やわかめを送ってくれていました。
でも、漁師さんの家も全部流されて。。。もうそのお店も潰れてしまったそうで。

そういう懐かしい味も子供の頃の思い出とともに流されてしまったかと思うと、悲しいです。。。

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