アジア

リーダーの節目のお祝い。「HOT 60!」

先日、私が長年アジアを回って来たバンド、GYPSY QUEENのリーダー、Akiさんの節目のお祝いがありました。そう、還暦のお祝いです。

諸事情あり、最近バンド活動はお休みしている私ですが、長年お世話になった方の節目のお祝いということで歌ってまいりました♪
ライブは久々なので、ちょっと緊張しましたが、『ユメノトビラ』を歌い終わった後、嗚咽して泣いてくださる方がいたりして、
『すごく感動しました。来て良かったです』
と言われ、こちらの方が泣きたいくらい感激してしまいました(涙)ありがとうございます。やっぱり、歌は好きだなぁ~。。。^^

大手コンピューターメーカーで同じ部の大先輩だったAkiさんは、100人くらいいる大きな部内でも、イベントを仕切っている人でした(笑)。
私が入社した年、どうやら「しのんが歌が上手いらしい」という噂を聞いたらしく、私をパーティで指名して歌わせ、その後、バンドのボーカルに、とスカウトされました。それまでAkiさんとちゃんとお話ししたこともなかったと思います。

そして3代目ボーカルとしてGYPSY QUEENに入ると「21世紀はアジアの時代だ!」バンドの曲を中国語に勝手に訳して来て、私に無理やり(笑)歌わせた事から、インターFMにゲスト出演させていただいたり、中国のオペラ歌手の程波先生に推薦されて、中国6都市のツアーを回ることになったり。私の人生はアジアへ大きくシフトして行きました。

当時、私も下っ端ながら広告宣伝やイベントなど、ガッツリOLとして働いていたのですが、中国政府からもらった招聘状を上司に提出して3週間有給休暇を取ってツアーに行ったり(笑)
今考えると、とんでもない不良社員ですよね(^^;

(2001年、初めて中国政府からいただいた招聘状。)
(2001年中国6都市ツアーの皮切りの北京のコンサートパンフレット表紙。)
(2001年 中国・昆明にてAkiさん、Masaoさんと。)
(2001年。中国・瀋陽にてAkiさんと。)
(上の瀋陽ホテルの巨大コンサートバナー。)

2002年以降は、中国以外にモンゴルやASEAN各国へのツアーが始まり、中国語以外の語学を勉強する必要が増えたので、中国語を習っていた語学学校の校長先生に頼み込んで、自分が次に行くツアー先の国のネイティブの先生を揃えてもらう特別コースを無理やり作ってもらい、語学の勉強にも忙しくしていました。

(2002年。モンゴル・ウランバートルの会場、相撲宮殿の前で。)
(2002年。モンゴル・ウランバートル 相撲宮殿で単独コンサート。)
(2003年のASEANツアー。ラオスの単独公演では新聞の一面に。)

その後、何度かツアーに行くうちに、あれよあれよとキングレコードからデビューしましたが、ちょっと歌の上手いOLが通用するわけもなく、下手だ、下手だと皆さんに散々言われ(笑)、それでも2時間超の海外での単独公演が続く・・・という環境で、上手くなりたくて、毎週数曲の課題曲を練習して、毎週末はボイトレに通っていました。

(2003年 重慶の大礼堂で単独コンサート。)
(2003年の重慶単独公演の記者会見。)
(2003年 重慶。国旗パフォーマンスで最大の盛り上がり。)
(2003年 重慶でのフィナーレ。)
(2004年。前年の成功を受けて、重慶では翌年も単独公演。)
(公演前日に記者会見。前年よりリラックスムード。)
(記者会見場で。)
(2004年重慶単独公演の会場は屋外でした。)
(2004年重慶。歌の途中にお花をいただいて。)
(2004年重慶単独公演、国旗パフォーマンス。)

そしてこんな活動をしながらも、会社の仕事も激務で・・・最後の方は指先が痺れて来るほど、寝不足の日々が続いていました。。。

決定的なきっかけは、2003~2004年、横浜のラジオ局『GYPSY QUEEN Road to Asia』という冠番組をレギュラーで持たせていただいた時、当時住んでいた千葉の実家から横浜のラジオ局まで通うようになり、行き来する電車の中で、心身が限界になって泣いてしまい、会社を辞める決断をしました。

(2004年8月27日。OL出勤最終日。若いね~デスクに置いてある携帯もガラケーw)

会社はとっても良い会社だったし、イベントで全国出張したり、高倉健さん、木村拓哉さんなどが出演するCMを制作して撮影に立ち会ったり、貴重な経験をさせてもらえた、恵まれた楽しいお仕事でした。お給料も良かったので、バンドに入っていなければ、きっとそこで働き続け、確かに生活は安定したかも知れません。

でも、Akiさんに出会ったことで、人生は大きく軌道を逸れて行きました(笑) それもめちゃくちゃ面白い方向に。
そして音楽を通して、たくさんの素晴らしい出会いがあり、国内外問わず、音楽にたくさんの土地へ連れて行ってもらいました。

今では音楽を通して知り合った香港人の老公(夫)と、音楽、映像などエンタメの仕事を海外とする制作会社を作り、好きな事でご飯を食べられているので、後悔したこともないし、むしろ、20年間海外で苦労した経験が現在にも生きているので、色々な経験をさせてもらえたことに、とても感謝しています。
決してお金では買えない素晴らしい体験だったし、若かったからこそ周りから多くの手を差し伸べて助けてもらえたり、色々な事を感じられました

今もし20年遡って同じチャンスがあったとしても、私は間違いなく、バンドで海外に歌いに行く選択をします。こんなに恵まれた経験をさせてもらえる、楽しい人生はきっとそうないだろうから。。。

Akiさんには、これからもどんどん周りの人を巻き込んで、私がこれまで体験させてもらえた素晴らしい体験を、これからの日本の若者達にも体験してもらって、日本とアジアの交流がどんどん深まり、日本の未来のためになるようなことをガンガンやっていって欲しいと思います。

改めて、Akiさん、還暦おめでとうございます!
そして、人生を狂わせてくれて、どうもありがとうございました!(笑)

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