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相約北京② ~2004年、朝陽流行音楽週~

2004年5月に重慶でコンサートの準備をしていると、帰りに寄る予定の北京から電話が入り、北京で人が大勢集まっているイベントで大勢の人が将棋倒しになり、人が亡くなったので、北京での大きなイベントが軒並み中止になった、とのこと。

出演する予定だった国家第一級作曲、呂遠先生のイベントも、MIDI音楽節も中止になり、北京での予定が一気に減ってしまいました。

(2004年5月 重慶の会場、珊瑚公園露天劇場。セッティング中に北京から電話が・・・。)

朝陽流行音楽週も中止なのかなぁ、と思いながら北京へ行くと、さすが中国政府主催のイベント、そんな事はなく、会場の朝陽公園には立派なステージが組まれていました。
演出公司の担当者はタンさんと、背の高い女の子のワンシン

2001年の「相約北京」の野外ステージでは最初、電源がなく、「没有電源(メイヨウディェンユェン・電源がない)!」という中国語をすぐに覚えてしまった私達。
でも、たった3年後の2004年のその立派なステージには、十分な機材が並んでいました。

そこで、私達も気持ち良く演奏し、大勢のお客さんと盛り上がりました。
その時の映像はこちら。最前列の公安の方々がちょっと物々しいです。

ステージを降りると、そこには興奮したタンさんが待っていて、その第一声が、
「明後日の朝も、ステージできない?」

そして、翌日の朝と、追加になった最終日の午前中も一本やって帰国したのでした。

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